テッちゃんに学ぶ、老後2000万円問題

我が家の芋畑の中で哲学者のような眼差しを向けているのは、野良猫のテッちゃん。

 

テッちゃんはウチ独自の呼び名ですが、この辺にもうずっと昔から居るようで、近所では「おたふく」「シロ」などと呼ばれているオッサン猫で、律儀に朝晩忘れずにご飯を食べに来ています。

 

この写真は、テッちゃんを写したものの中でも飛び切り男前なものなのですが、普段は警戒心丸出しで、ちょっと上目遣いで人間を見上げた時のヤサグレ感は、お世辞にも可愛いとは言えない迫力があります。

 

そんなテッちゃんですが気持ちの優しいところもあって、ウチの飼い猫のサバやネオがまだ子猫の頃、テリトリーから出てしまったのを見つけ、鼻先で押したり、咥(くわ)えたりして連れ戻してくれたという、イクメンな一面も持ち合わせています。 

 

 

 

 

いつもはどこに住んでいるかというと、どうもテトラポットの中に寝泊まりしているという噂…でも、テッちゃんが昼寝をしているところを、誰一人見たことがありません。

寝姿を人間などには見せないという、テッちゃんのプロフェッショナル野良の流儀があるのでしょう。

 

写真は、夕立のあとにビッショリと濡れた全身を、海風に当てて乾かしてる、凛々しいテッちゃんの立ち姿です。

 

 

そしてここがテッちゃんの泣かせるところなんですが、毎日ご飯をねだる割には、外猫としての立場を常にわきまえており、自分がどんなに腹を空かせていても、飼い猫のご飯を横取りすることはなく、風の日も、大雨の日も辛抱強く、ご飯が出てくるのを待ち続けている。

 

一度なんかは、長崎には珍しく雪が降った寒い寒い朝、テッちゃんは何とか自分の姿に気付いてもらいたかったのでしょう、降りしきる雪の中、タロット庵の屋根に上り、必死の形相で仁王立ち(四つ足ですが)していたものです。一体どれくらい前からそこに佇んでいたのやら…

あれにはもう、心底ハートを掴まれました。

 

私はテッちゃんの姿を見る度に、ギリギリ人間に譲歩してはいるものの、たった1匹で誰にも頼らずに生きている、野良猫の誇り高さを感じます。

 

何かに困ったり不安になったりしたとき、テッちゃんならばどう答えてくれるだろうか? ふとそんなことを考えました。

 

そういえば先週は、老後2000万円問題で、多くの方々が不安になりました。

この人間界の問題を、テッちゃんはどう思っているのでしょうか?

 

記事を書いていたら、テッちゃん登場!グッド・タイミングです。本日は大雨のため、控え目に薪ストーブの陰で「腹減った~」と、訴えかけています。

 

さあ、老賢猫テッちゃんよ、我が問いに答えたまえ(お魚、ちゃんとお取り置きしてあるから。)

テッちゃんの魂さんと交流してみましょう。

出たカードは、この3枚です。

 

『あんたはいつも、人間以外のものと交流しようとしておる。

人間がエライとは、全く思っておらん。なかなか良い心掛けである。

 

それにオイラの身体を心配してくれておるようじゃが、オイラは自然界に、常に鍛えられておる。

夏の暑さも冬の厳しさも、オイラの友達なのだ、気にすることはない。

 

今、あんたら日本人には、前代未聞の変化が起きておる。

 

必ずや良き方向へと流れておるのじゃ。

見えない世界も懸命に働いておる。

 

この流れに乗って行くべし!


2000万円必要? 果たしてそうなんだろうか?

明日は3000万円、来年は1億円だと報告されるかも知れないゾ。

でも、見せかけの不安に踊らされてはダメだ。

 

宇宙はあんたらを、決して潰さない。

 

宇宙が今日もオイラを元気に生かしてくれているように、あんたらもこれからも生かされていく。

 

宇宙は「生きる」方向に発展しておるのじゃ。


信じられない時もあるかも知れない。

だけどいつだって、より良い方へと変化しておるのじゃ。

 

納得したかい?

 

もう魚もらって良い?』

 

はいはい、テッちゃん、おつかれさま。

 

今日も完食、されました。

 

 

 

れべいゆ